「小さなスナック」 (文春文庫) ナンシー関(著), リリー・フランキー(著)


~紹介した「トモ」(男性)さんの記録 ~
(2015年9月20日読書会にて)

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トモ09

主催者の感想というか勝手な妄想というか戯言


あの人がいま生きていたら、なんて言っていただろうか。そういう人は皆それぞれいると思う。

とりわけ、昔からのテレビ好きは異口同音に”ナンシー関”と言うだろう。

ナンシー関が死んだのが、2002年6月11日。その日の予定でリリー・フランキーとの対談があったそうだ。

内容(「BOOK」データベースより)

小1の時、赤痢で隔離されたリリーと、小5の時、水疱瘡をうつして、友達の修学旅行を台無しにしたナンシーが、絶妙な立ち位置から繰り出す伝染病に、カレーに、中国、福田和子…。苔むす間もなく話題は転がり、思えば遠くへ来たけれど、そこに広がる風景は、ポジティブ世代に贈る妄想と諦念の荒野。二人の最初で最後の対談集。(AMAZONより

いまでも、ときどきナンシー関のことがネット上で話題に上がる。

ナンシー関のテレビ批評が必要だ!“涙と感動”大安売りの今こそ痛感する(女子SPA!2014.12.18)

消しゴム版画家、そしてコラムニストとして活躍していたのだが、鋭いテレビ批評はとくに人気を博していた。

有名な話で、「有吉のふてぶてしさを当時から見抜いていた」なんて話がある。そのことについて、”はてなでテレビの土踏まず”というブログにて詳しく書かれていた。

(以下その一部を引用させて頂きました)

当時放送されていたテレ朝系「リングの魂」の芸能人最強柔道王を決定するという企画で、ウド鈴木が有吉を破って初代王者に就いた、みたいな話から、有吉論が展開されています。

(前略)
しかし、私は負けはしたもののこの有吉の強さとその試合ぶりに興味をひかれた。あんなに童顔なのに、どうしてふてぶてしさしか印象に残らないのか。ユーラシア大陸横断も、今となってドロンズや朋友(パンヤオ)と比べてみると、特に有吉はひたむきさに欠けるというか(今思えば、であるが)没頭の度合いというか、体温というかが低い感じだった。それは、この生身の人間としての強さのせいだったのかもしれない。テレビという顔を強調する装置のせいで、我々は有吉という人間を、間違えて解釈しようとしていたのかもしれない。有吉は何故かふてぶてしく見える、のではなく生来ふてぶてしいのだ。('98・7・16)
【文春文庫「テレビ消灯時間 2 」より抜粋】

有吉が今回の番組内で言っていたような『目が死んでる』という表現ではないですが、主旨としては同じようなもんです。「生来ふてぶてしいのだ」。言い切ってます。

はてなでテレビの土踏まずより引用)

有吉とともに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍しているのが、マツコ・デラックスだが、彼女はナンシー関の再来なんて評されることも多い。

テレビに対しての鋭い批評的感覚、それが似ているのだろう。

調べてみると、一度だけ二人は対談しているようだ。

評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」(2014/6/6)
評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」 (朝日文庫)

これは、ナンシー関について様々な著名人が語っている本なのだが、この中に、その当時のものが収録されているらしい。(早速、AMAZONにて購入しておいた。楽しみ!!)

若者のテレビ離れが叫ばれる昨今、もし”ナンシー関”が生きていたらこの現状をどう批評していたのだろうか。

おわり

本の行方


トモ→→→→→ゆき

 

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