「七回死んだ男」 (講談社文庫) 西澤 保彦 (著)


~紹介した「Yuki Takahasi」(男性)さんの記録 ~
(2015年9月20日読書会にて)

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主催者の感想というか勝手な妄想というか戯言


この本のタイトルを聞いて、ある映画が思い浮かんだ。その映画の情報をwikipediaでしらべてみたら、マジで!!という情報をみつけた。それは、「七回死んだ男」の着想をその映画から、著者である西澤保彦さんは得ているということだ。

さて、その映画とは・・・・、もったいぶったところで何の意味もないが、決して文字数を稼ごうという姑息な手段ではない。あくまで、そのほうが説明しやすいからである。そんな内情を書くことこそ意味ないが、せっかくタイピングしたのでこのまま残しておこう。

では、まずはこの本のあらすじを引用しておこう。

内容紹介
同一人物が連続死! 恐るべき殺人の環。殺されるたび甦り、また殺される祖父を救おうと謎に挑む少年探偵。どうしても殺人が防げない!? 不思議な時間の「反復落し穴」で、甦る度に、また殺されてしまう、渕上零治郎老人――。「落し穴」を唯一人認識できる孫の久太郎少年は、祖父を救うためにあらゆる手を尽くす。孤軍奮闘の末、少年探偵が思いついた解決策とは! 時空の不条理を核にした、本格長編パズラー。(AMAZONより

内容紹介を見ただけじゃ、どんなものなのかさっぱりだとおもうが、とにかく一人の人物が死んで生き返ってということを繰り返すらしい。

そこで、思い浮かんだが映画が「恋はデジャ・ブ」(1993年)という作品。

主人公は、ビル・マーレイ演じる人気気象予報士”フィル”という人物で、アンディ・マクダウェル演じるディレクター、”リタ”と、毎年2月2日に行われる、パンクスタウニーという田舎の祭りを取材しに行く。フィルの性格は、自己中で傲慢で最低のクズ野郎。取材先のあまりの田舎さに悪態をついたり、スタッフと同じ安宿に泊まりたくないなどの文句を言ったりと、リタやその他スタッフからも嫌われている。

取材後、自宅へ帰る予定が、天候不良により帰れなくなってしまう。仕方なく、もう一泊することになり、よく朝目覚めるとなぜだか周りの様子がおかしい。ベット横の時計は2月2日。みんな、取材を終えたはずの前日(2月2日)と同じ行動をしている。不審に思いながらも、みんな2月2日だと思っているのでフィルは改めて取材をする。そして、前日と同じように、天候不良により、もう一泊する。

次の日、目覚めると、ベッド横の時計は2月2日。また同じことが繰り返される。こうして、何度寝て起きても2月2日が繰り返される。

苛立ったフィルは、警察に捕まるトラブルを起こすが、ホテルで目覚め2月2日が始まる。

フィルは、この現象を受け入れ、それならば何をしても許されるはずだと、銀行強盗をした、女を口説いたり、やりたい放題繰り返す。

そんなことをしているうちに、少し気になっていたリタを口説きはじめる。だが、何度、口説いてもフィルは相手にしてくれない。そこで、フィルのことを徹底的に調べ、フィルが喜びそうなことを行う。だが、一向に相手にされず、こう言われてしまう。

「あなたが愛してるのは自分だけ」

好きな人に相手にされず、永遠に繰り返される人生に嫌気がさしたフィルは、死ぬことを選ぶ。

だが、どんなふうに自殺しようが、結局は2月2日、同じホテルのベッドで目覚めてしまう。

永遠に終わらない2月2日。

死ぬことも出来ず、絶望したフィルは、いつも2月2日、ホテル前で邪険に扱っていたホームレスのおじいさんに有り金を全部あげる。

しばらくして、道端で倒れているホームレスのおじいさんを発見し、病院に連れていくが、老衰だったということで死んでしまう。

永遠に繰り返される日常の中で、フィルはそのホームレスのおじいさんをなんとかして助けようとするが、どうやっても死んでしまう。

そんなことから、繰り返される1日を誰かのために全力で尽くそうと、いままで、自分勝手だった行動を改めて生きることを決意する。

そうやっているうちに、フィルがいつも目覚める街である、パンクスパウニーの人々から好かれて、その日が終わるようになる。

そして、どう口説いても相手にされなかったリタも次第に好感を抱いてくれるようになり・・・・・・・・。

と、ほぼ結末まで書いてしまったが、この映画を知ったのは映画評論家の町山智浩という人の解説を聞いたからだ。

この解説の中で、このように語っている。

これは、40を過ぎた傲慢な男の成長物語なんですね。自分のことしか考えてなかった男が、本当に、子供とか全然好きじゃなかったんですけども、何度も何度もいろんな人達の生き様を、何度もって、3千回も!見たんで、ホントに普通の人達、本当に何気ない日常、全てをですね、愛するようになったんですね。なんでもない日々を、本当に大事に、もう、それが何千回繰り返しても、それを徹底的に生きよう、と。要するに、好きな事をやってるんだけど、結局無意味だったんですね。好きな事をやってメチャクチャやって、殺人以外のことを、全部欲望を実現させたんだけども、虚しかったんですね。ところが、思いっきり、そのたった1日を、思いっきり自分のやれる限りのいいことをして、やれる限りのことをやったら、楽しかったんですね。1秒も無駄にしない、この1日を大事に生きるんだ、と、精一杯生きたら楽しかったんですね。

(「町山智浩のアメリカ映画特電」を文字越ししたサイト「まちおこし」より引用)

そして、これは、ニーチェの「永劫(永遠)回帰」という概念に影響を受けていると言及した後に、カミュが書いた、「シーシュポスの神話」にも共通点があると指摘している。

まあ、あと、『シーシュポスの神話』っていうですね、カミュが書いてる、哲学の短いエッセイがあるんですけども、これもまあ、似たような話で、そのシーシュポスっていう男が、ま、ギリシャ神話なんですけれども、永遠の刑罰を受けるんですね。それは、巨大な石の塊をどんどん坂の上に押していくという仕事をやれ、と言われるんです、一生。永遠に。で、どんどん石を、山の天辺に持って行くと、山の天辺で石はまた、下に転がってって、それをまた、下まで取りに行って押し上げなきゃならない、と。それが永遠に続く、と。何にも結果は出ない、と。もう、ただおんなじことが永遠に続くだけだ、と。これは拷問なんだ、ということなんですねえ。これは全くおんなじですね。その『グラウンドホッグデイ(恋はデジャ・ブの現代)』の拷問(永遠に一日が繰り返される)とおんなじなんですけども、この時カミュがおんなじことを言ってるんですね。
「でも、その、無駄な、石を持ち上げるっていう、何の見返りも無い行為に、歓びを見出すのが人間なんだ」
「そこに積極的に歓びを見出していくのが、人間ていうものなんだよ」
と。未来なんか無くても、将来、天国に行けるっていう見返りが無くても、その、日々の、生きるってことだけを、実は楽しむことが出来るはずなんじゃないか、というふうに言ってるんですね。そしたらもう、いつ死んでもいいじゃないか、ってことですね。今、精一杯生きてるから、と。

(「町山智浩のアメリカ映画特電」を文字越ししたサイト「まちおこし」より引用)

この解説を聞いたのがいまから8年ぐらい前で、当時住んでいた茨城の田舎には、あまり流通しておらずあらゆるレンタルショップ店を探しまくったのを思い出す。

冒頭にも書いたが、パッとこの映画が思い浮かんで公開日などをwikipediaで調べてみたら、一番最後のほうに、

推理作家の西澤保彦はこの作品にインスパイアされて、その代表作『七回死んだ男』を書いた。

wikipediaより

だからこそ、この本がかなり気になる。

おわり

本の行方


Yuki Takahasi→→→→→ヒラッシー
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西澤 保彦
講談社
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