「彩乃ちゃんのお告げ」(講談社文庫) 橋本 紡(著)


紹介した「そのちゃん」(女性)さんの記録 ~
(2015年9月20日読書会にて)

51yy63CADyL そのちゃん

主催者の感想というか勝手な妄想というか戯言


この部分を書くにあたって、とりあえずは著者の名前をググりネタになりそうな情報を探すのだが、そのなかでこんなものを見つけた。

SNSで2013年4月17日に引退を示唆したわけだが、調べてみると現在に至るまで新刊は出ていない。

まぁ、今回の読書会でこの本を紹介して下さった方がきっかけでこの作家さんの存在を知った程度なので、さして驚いたりはしないが、果たして今後復活することはあるのだろうか。

さて、「彩乃ちゃんのお告げ」だが、表紙がとても魅力的だ。

緑、黄色の葉が生い茂った木、そして生い茂っていない木が書かれていて、その中心にぽつりと白黒で書かれた少女(おそらく彩乃ちゃんだろう)が描かれている。

これが意味するところはなんだろうか。お話を聞くと物語は三篇に別れているそうなので、それぞれの話の特徴がこの木に込められているのかもしれない。

内容紹介
なぜか“教主さま”だという女の子を預かることになった。彩乃ちゃんといって、一見ごく普通の、小学五年生の女の子だ―。花屋に勤める二十代の智佳子、進路に悩む高校三年生の徹平、東京から地方に越してきた小学五年生の佳奈が、彩乃ちゃんとの出会いで知った人生の奇跡。前に進むすべてのひとに捧げる物語。(AMAZONより

 

私は、橋本紡さんの小説は読んだことがないが、映画化された「半分の月がのぼる空」(2010年)は観たことがある。

観たことがあるといっても自発的に観たわけでなく、学校の授業の一環として劇場で観させられたと言ったほうが正しいだろう。そのため、この映画について感想やらを書かされたわけだ。

それはいまから、5年ほど前のことでその当時書いたものが残ってないか、USBを探してみたら出てきたので載せておこう。いま読み返すとかなり恥ずかしく、とくに感想のほうは、よくこんなものを学校に提出したなあなんて思うが・・・。


「ストーリからの考察」

肝炎で入院している、いまでいうと草食系でどこか内気な少年(祐一)。その少年が同じ病院に入院している重病をかかえた美少女(里香)と出会い恋をする。二人で訪れる危機を乗り越え愛の形を築いていく。そんな二人も大人になりやがて結婚し子どもが生まれ理想的な幸せを手に入れる。だが、それも長く続かず、里香は重病を治すために行われた手術により死んでしまう。さらにその手術を行ったのは祐一。彼は自責の念にかられ葛藤する。というのが大まかなストーリーだ。

さらにここからアクト1、アクト2、アクト3に分けてみたい。

・アクト1(きっかけ)は、祐一が里香と出会い、砲台の丘に登るまで。

・アクト2(もう後にはもどれなくストーリーは深みを増していく。そのための諸要素)では、砲台を上り終えて二人の関係はどんどん深まっていく。そして、里香が演劇の舞台に上がりその後病状が悪化するシーンまで。

・アクト3(アクト2からの成長、そしてクライマックス)では、祐一が大人になり里香を自分の手術の失敗により殺してしまったと自責の念にかられる。砲台に再び昇ったりしてなんとかしていまの自分を見つめる。そして、最後に里香から、かつて貰った「銀河鉄道の夜」の最後のページに書かれている言葉で自責の念から開放される。

だいたいこのような感じではないだろうか。

続いて印象に残ったシーンからなぜ印象に残ったのかを考えてみたい。

まず一つ目は、祐一と里香が二人で砲台の丘に行くために病院を抜け出すときの看護士との追いかけっこのシーンである。このシーンで私はある違和感があった。どこかに似ているぞと。

それはよく考えたらバカ殿での志村けんと桑マンが場内を追いかけっこするシーンだ。なので、なんか物凄くチープというかこうすればコメディっぽくなるだろうみたいな演出的意図を感じた。建物内を追いかけっこするときはあんな感じになるしかないのだろうか。

二つ目は里香の可愛さ。彼女の顔がもともと可愛いのは当然のことだがふとした時にもの凄く可愛いときがあった。それは、演技力なのか、演出の仕方なのか、照明の当てぐあいなのか編集の上手さなのかカメラの撮り方なのか、それら全てを含めて監督のテクニックなのか分からない。

「映画を観ての感想」

感想なので好きか嫌いで述べるが、わたしは恋愛映画が嫌いである。だから、この映画も好きではない。

なぜ、好きではないなというと天邪鬼な私の性格が大きく起因している。映画でもドラマでも音楽でも最も多いのが恋愛モノ。それに群がる多くの人たち。それを考えると舌打ちをしてしまい、けなし馬鹿にして逆の方向に行きたくなる。

そういえば、なぜ音楽に恋愛モノがヒットしているか考えたことがある。それは「普遍的で誰もが共感できる」「人間が動物たる故の衝動」ではないだろうかと。

そして、この二つは共通している。

私がここに存在しているのも父と母が恋をして愛し合ったため。さらに、そこまで行きつくのに、父も母も他の人を好きになり多くの恋をし、色々な人を愛しただろう。もしかしたら、現在進行形で私の父は母以外の人を愛しているかもしれない(その逆もしかり)。この行為は子孫繁栄を目的とする動物であるが故の逃れられないものであり、誰しもがもつ普遍的な共通事項だ。

だから、恋愛モノがヒットし大量に作られるのだろう。

その上で、今回観た「半分の月が昇る空」を考えたとき、社会学者宮台真司の著書「14歳からの社会学」の中で述べている「恋空」(著・美嘉、小説で後に映画化された)についての批評を思い出した。

それは、

「恋空」ではいろんな事件が起こる。主人公が男たちにレイプされて、セックスして妊娠して、嫉妬した女に突き飛ばされて流産して・・・・・・・以下省略 ぼくは映画館で「そうか」と思った。彼女たちは現実の人間関係に期待していないから「レイプ」とか「妊娠」とか「流産」とか「癌で死ぬ」とかそういう現実にはめったにない「事件」に反応して泣くんだ。”その上で現実社会では“相手が固有名詞を持った誰とも入れ替えらない存在になるのは、非日常の「事件」ではなく、日常の「関係」の積み重ねだ

と書いている。

今回の映画もこれに近いような気がする。

必ず、都合のいい所で「事件」が起こる。その「事件」により裕一と里香の関係が濃密になっていく。こんな「事件」は日常では99%あり得ない。

もちろん、監督や脚本家はこの手のことを十分理解しわざと意図的にやっているだろう。だからこそ、そんな手法には騙されないぞというような天邪鬼な私の気質が出てきてしまい恋愛映画は好きにはなれない。

最後に、今回改めて実感したことを述べたい。

それは映画館という空間の素晴らしさ。具体的には何が素晴らしいのか言葉で説明できないが、映画を観始めるとき、観ているとき、観終わったときのなんともいえない高揚感がたまらなかった。

やっぱり映画は映画館で観るべきだろう。


おわり

本の行方


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