「火星年代記」 (ハヤカワ文庫SF) レイ ブラッドベリ (著), 小笠原 豊樹 (翻訳)


~紹介した「さすらいのエミリー」(女性)さんの記録~
(2015年12月05日読書会にて)

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さすらいのエミリー

主催者の感想というか勝手な妄想というか戯言


SF小説はそんなに読まないが、SF映画は結構観ている。紹介された火星年代記も映画化されるなんて噂があるがどうなることやら。

レイ・ブラッドベリの「火星年代記」が映画化(映画.comより)http://eiga.com/news/20110414/4/

映画で宇宙への夢を見だしたのはジョルジュ・メリエスの「月世界旅行(1902年)」からだ。そして、最も盛んになったのが1950年代~1970年代初頭だろう。

この時代は、現実世界でも宇宙への夢を追いかけていた。それは、冷戦という特殊な時代背景なしでは語れない。

ここで、はじめて核戦争というものが現実味を増す。そうしたなかで、SF映画は、共産主義戦争の代理の場として機能した。とくに、地球を侵略するエイリアン(宇宙人)が来襲する諸作品は分かり合えない共産主義が下敷きとして描かれていた。

だが、そんな中でエイリアンが道徳的・知的なエイリアンが来襲する映画があった。その代表的なものが「地球の静止する日(1951年)」である。

ワシントンの中心部に突如として宇宙船が着陸する。その中から現れたのは極めて人間に近い宇宙人クラトゥーと一体のロボット。

クラトゥーの目的は冷戦で地球崩壊の危機に瀕していることを警告にやってきたのだった。彼の性格は非常に温和的。

UFOから降りたクラトゥーは平和の使者であることを知らせるため、大統領への贈り物を渡そうとするが、恐れていた兵士に肩を撃たれて倒れる。クラトゥーは病院に運ばれ驚異的な速さで回復する。

そして大統領からの使者に、地球すべての国民を集めた会議を開催することを要求する。

だが「われわれの世界は緊張と疑惑に満ちあれていて、現在の国際情勢では、そのような会議は不可能だ。揉め事を起こしている悪の勢力が私たちの惑星にあるのをあなたも知っているでしょう」(ここで共産党が悪の存在であることを示している)。

クラトゥーは、それを聞いて絶望する。そして、こっそりと病院を抜け出し少年ボビーと知り合ったり、町を歩きながら一般市民の生活を観察したり、しながら地球人にあることを警告するために科学者に相談する。

そこで、クラトゥーの力を地球人に示すため(全世界の科学者を集めるため)に30分だけ電力の力を止める。(この行為が地球を静止する日の由来になっているのは言うまでもないだろう)

この行為が仇となりクラトゥーは危険人物とみなされて軍に追跡されて殺されてしまう。だが、遺体は一緒に来たロボットが取り戻しクラトゥーは復活する。

そこで、宇宙船に集まった科学者の前で警告する。「もし人類が脅威となったり宇宙でも暴力行為を行うなら、この地球は燃え尽きた灰にされてしまうだろう。君たちの選択は簡単だ。われわれの仲間に加わり平和に暮らすか、現状のまま進み、抹消されてしまうかだ。われわれの回答をまだ待っている。最後に決めるのは君たちだ。」

【参照:アメリカSF映画の系譜―宇宙開拓の神話とエイリアン来襲の神話 長谷川功一著 リム出版新社 (2005年)

この作品は、宇宙人から見た地球の状況を述べている。地球こそが野蛮な存在であり最も危険だと。たしかに、第三者が見れば戦争はくだらない行為だ。それで両者自滅して地球が滅んでしまったらもともこうもない。さらに人間が進化を遂げるためには、このくだらない争いごとをやめて科学技術を正しい方向へと利用しなければならない。

だが、このことを忠告することができるのは地球人(人間)が言うのは無理なのだろう。争いをしているのは人間自身なのだから。そのために、SFという世界のなかで、宇宙人を登場させることにより第三者の立場から地球の危機を伝えることができるのだろう。

この映画が作られたのが、1951年、紹介された火星年代記が出版されたのが1950年。どちらも、いまらから約60年以上前の作品だ。非常に考え深い。

こんなことを、何気なく思い出したので書いてみた。

おわり

本の行方


さすらいのエミリー→→→→→コモ
火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)
レイ ブラッドベリ
早川書房
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