「わたしを離さないで」 (ハヤカワepi文庫) カズオ・イシグロ (著), 土屋政雄 (翻訳)


~紹介した「コモ」(女性)さんの記録~
(2015年12月05日読書会にて)

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コモ

主催者の感想というか勝手な妄想というか戯言


著者はカズオイシグロというかたで、日本人ではなくイギリス人です。名前からご察しの通り両親は日本人なのですが、幼少のころに渡英しており日本語はほとんど話せないようです。

デビュー作の「女たちの遠い夏」という作品は、イギリスに住んでいる日本人女性が、故郷長崎での出来事を回想するというような内容です。少なからず、日本についての思いみたいなものがあるのでしょう。

さて、今回紹介された本「わたしを離さないで」は、出版されたのが2005年で、ブッカー賞というイギリスの文学賞にノミネートされました。2010年には映画化もされ、そして只今、綾瀬はるか主演でテレビドラマ化もされ絶賛放映中です。

これを書くにあたって、小説のほうはまだ読んでいないのですが、映画化されたものを観ました。なので、ここからはそのことについて私なりに書いていきたいと思います。

外界から隔絶した寄宿学校ヘールシャムは、他人に臓器を“提供”するために生まれてきた〈特別な存在〉を育てる施設。キャシー、ルース、トミーは、そこで小さい頃から一緒に過ごしてきた。しかしルースとトミーが恋仲になったことから、トミーに想いを寄せていたキャシーは二人のもとを離れ、3人の絆は壊れてしまう。やがて、彼らに逃れようのない過酷な運命が近づく。ルースの“提供”が始まる頃、3人は思わぬ再会を果たすが……。(公式サイトより

物語の冒頭、「1952年、医学界に画期的な進歩が訪れた。不治とされていた病気の治療が可能となり、1967年、人類の平均寿命は100歳を超えた」というテロップで始まります。

ようは、臓器提供するためのコピー(クローン)が作られるようになり、オリジナルが長生きすることが可能になった世界、つまりパラレルワールドということです。

そうした世界で、コピーはどのように生きそして死んでいくのかというのが物語の根幹です。

コピーといっても意識なきことであり、物語的表現でいうところの魂(感情や欲求)はオリジナル同様に存在します。だからこそ大いなる問題が生じてくるわけです。

それは、なぜオリジナルのために犠牲にならなければならないのか、ということです。

似たようなテーマの作品は他にもあります。例えば「ブレードランナー」では、奴隷として扱われていたレプリカントと呼ばれる人造人間が、感情を持ち人間に反抗するという話です。
ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

また、「THX-1138」では、人類が精神抑制剤により欲望を無くし、コンピュータによって管理されロボットのようにシステム化された社会を描きます。そこで、主人公が精神抑制剤を使用せずある女性と恋をし、人を愛するという感情を持ち始め、この管理された世界から脱走するという話です。
THX-1138 ディレクターズカット (字幕版)

どちらも、感情を持つということが重要で、だからこそ不条理だという意識が芽生えます。そしてそれを究極的に追い求めると死というものが出現します。

その不条理に抵抗するのが「ブレードランナー」「THX1138」で、しかたなく受け入れるのが「わたしを離さないで」でしょう。

「わたしを離さないで」での、コピーたちは、管理されたもとではありますが、人間としてまともな扱いを受けます。ただし、オリジナルとの接触は禁止されています。(映画ではその辺の定義は詳しく説明されていませんが、たぶんそうです)

コピー同士での恋愛は自由に行ってもよく、とくに咎められることはありません。ここが、物語のポイントになります。

一言でいうと、”愛する人との別れ”です。

こうまとめてしまうと、凡庸な作品となってしまいますが、この中には、コピーがコピーとして自覚したうえでやがて訪れる臓器提供で役目を終え死ぬという決まりきった運命のなかで、生きるとは何かということが含まれます。

かなり虚無的なストーリーです。ここで、救いを与えるとしたら臓器提供を拒み、オリジナルの人間たちに抵抗するために戦うという展開もあり得ますがそうなりません。

あまり書きすぎるとネタバレになってしまうのでこの辺にしておきますが、個人的には運命に逆らって生きてほしかったのですが、現実社会同様、運命に逆らうことのほうが絶望的な生き方かもしれません。

おわり

本の行方


コモ→→→→→やよい
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
カズオ・イシグロ
早川書房
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