陽だまりの彼女 (新潮文庫) 越谷 オサム (著)


~紹介した「主催者」(男性)の記録~
(2015年5月23日読書会にて)

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みずしま

 

感想の前に・・・・


2015年5月23日の読書会で、交換された本はこれで最後です。自分が持参した本で締めようかと思います。

その前に、今回(5月23日に行った)の読書会の狙いを少しばかり書きたいと思います。(“「2015年5月23日」の交換読書会からの考察”ではどのような形で読書会を行ったか書いてありますのでそちらも気になる人はご参考下さい)それは、いかに主催者の自分が喋らずに読書会をスムーズに進めることが出来るかということです。

読書会で重要なのは、参加者はもちろんのこと、それ以上にスムーズに進行を促す司会者の役割ではないかと思います。

司会者は、本の紹介が終わったら、他の人へ話を振り、会全体を盛り上げなくてなりません。話を振る際は、紹介者が何を伝えようとしているのか、また、他の参加者がどんなことを聞きたいのか、キーワードとなるような言葉を瞬時に選ぶことが必要です。(何回か開催してますが、自分自身中々上手くできていませんが・・・・・)

そのキーワードは、自己紹介のとき、いままでに紹介された本の中で行われた会話の内容、そして、いま紹介されている本、それらの共通点や相違点の中で発見できるのではないかと思います。

そして、どのような流れに導くかを考え、最終的に上手くまとめることが出来れば理想的です。さらに、全員が同程度の会話量であれば尚のこといいでしょう。

なので、参加してくれた人の満足感はこの司会者の技量によって大きく左右されるのではないかと思っています。

その司会者の役割を参加者の方にも行ってもらうということが今回の読書会の試みであり、即ちそれは主催者が司会をしない(自分が喋らない)ということに繋がります。

では、なぜそうしたかというと、

第1に参加者が11名だったので、そうしないと読書会が上手く回らなかったということがあげられます。このいきさつは、“「2015年5月23日」の交換読書会からの考察”に書いてあるのでご覧ください。

第2に、主催者である自分が司会をしてしまうと、何回か読書会を開催しているのである程度パターン化された司会ぶりになってしまい、自分自身、そして何度か参加されている人に新鮮さが失われてしまうからです。

第3に、司会の楽しさを知ってもらいたいということです。これがいまあげた中で、肝となることです。さて、その楽しさとは何なのか。

普段生活していて司会という立場になることはそうはないです。せいぜい、あるとしたらタイムキーパー的な司会程度でしょう。そうではなく、いままで書いてきたような司会です。それぞれが本を読み解く魅力を司会者ならではの視点(司会者の経験を踏まえたり、過去に読んだ本などの情報を用いたり)で考え瞬時にまとめ、人に話を振る、これは、人それぞれの心を読むという力が必要で、どこか読書と似ているような気がします。普段行うことのない司会を経験することで、新たな読書の魅力を発見出来るのではないかと考えています。つまり、この普段では経験することが出来ないことをするということが楽しさです。

その他にも、紹介しただけで終わってしまうと緊張感が薄れて他の人の話に興味を持てなくなってしまう可能性もあるので、それを和らげるためということもあります。また、一回でも読書会の司会を経験すれば、どこか別の場所で読書会を行うことも出来るので、その練習の場としても活用できるのではないでしょうか。

以上のことから、読書会の司会を参加者にもしてもらうという考えに至りました。

とはいうものの、5月23日の読書会では、初の試みということもあり、うまく趣旨が伝わらず、スムーズにそのような状況に持っていけなかったので、それは大いなる反省点です。なので、次回行う際には、スムーズに参加者の方が司会を楽しく行って貰うための仕組みを整えられればと思っています。

などと書いていたら、自分の本の感想を書くことをすっかり忘れていました。以下に、書きます。

 

主催者の感想というか紹介した本について


「陽だまりの彼女」。帯をみると女性が男性に読ませたい本NO.1と書いてあった。僕は、そうやって書かれた本のことは信用しない。だから、僕にとっては絶対に読みたくない本NO.1である。なのに、買ってしまった。理由は、読書会をしているからこういう本を持っていけば結構うけがいいかもなんていうよこしまな考えからだ。

そして、読み始めて数ページ。絶望的につまらない。書かれている内容が、くだらないJ-popの歌詞にあるような、極めて陳腐な日常(恋愛描写)が描かれているからだ。

僕は、怒りに打ち震える体に身を任せ、ページを破るように読み進めた。だが、終盤に差し掛かると、なんだか様子が変だ。おかしいぞこの作品。なぜだか、僕は泣いていた。

そして、読み終えると喪失感だけが残っていた。くだらないと思っていた日常があんなにも大切だったなんて。後悔とは後を悔やむと書くがまさにこのことを意味しているのだろう。そんな中、僕の頭の中である曲が流れた。それは、ユーミンのの「翳りゆく部屋」という歌。(正確に言うと浮かんだのはエレファントカシマシがカヴァーしているほうだった)

 

「翳りゆく部屋」

 

窓辺に置いた椅子にもたれあなたは夕陽見てた

なげやりな別れの気配を横顔に漂わせ

 

二人の言葉はあてもなく過ぎた日々をさまよう

ふりむけばドアの隙間から宵闇がしのび込む

 

どんな運命が愛を遠ざけたの

輝きはもどらない

わたしが今死んでも

 

ランプを灯せば街は沈み窓には部屋が映る

冷たい壁に耳をあてて靴音を追いかけた

 

どんな運命が愛を遠ざけたの

輝きはもどらない

わたしが今死んでも

 

どんな運命が愛を遠ざけたの

輝きはもどらない

わたしが今死んでも

 

作詞,作曲: 荒井由実

 

まさに、この歌が全てを表しているような作品だ。是非、この作品を読んだ人はこの歌を聞いてもらいたい。

 

おわり

本の行方


みずしま→S