「二番目の悪者」林 木林 (著), 庄野 ナホコ (著)


~紹介した「くみ」(女性)さんの記録~
(2015年8月09日読書会にて)

71QepW8uBTL くみ

主催者の感想というか勝手な妄想というかこの本を読んで


絵本、これは、そう絵本だ。

自分の手元にやってきたものなのだが、絵本なんて読むのはいつ以来だろう。20年以上たつのか。

最近の交換読書会から、本の空いてるスペースに、持ってきて下さった方のメッセージのようなものを書いてもらっており、このように書かれていた。

「どうぞ一生の課題として時に思い出して頂ければ」

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紹介する際にもこのようなことをおっしゃっていた。

「大人が読んでも、心に突き刺さるお話です」

実際に読んでみて確かにそうだった。

タイトルは「二番目の悪者」となっており、では一番目は誰なのかと興味の抱く人もいるだろう。様々な読み方があると思うが、素直に考えると一番目は表紙に映っているこのライオンになるだろう。

以下に引用したのは、ライオンが王様になった姿である。

 

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(マンガとは違った絵の温かみとでもいおうか、その魅力を存分に味わうことのできる作品だった)

では、二番目はだれなのか。

物語の核心に触れるところなので、ここでは書かないが、キーワードとしてあげるとしたら、

「悪いヤツだけが悪いわけではない」

ということだろう。

ここで、想起するのが円谷プロが手掛けた、ウルトラマンである。

ウルトラマンが放送されたのが、いまから約50年ほど前の1966年。

そのときのウルトラマンの物語を、社会学者の宮台真司子はこのように述べている。(TBS RADIO 954kHz | 荒川強啓 デイ・キャッチ!より

「まず、悪に見えるもの(怪獣)が出てきて、それを探求していくと、なんだ悪はこっち側だったのか。普通は悪が懲らしめられて終わるんだけど、このオフビート感覚が円谷的コンテンツにはあって、たしかに怪獣は倒されるんだけど、凄く後味の悪いそういう感覚が残る。子ども達が”そうか悪いのは僕たちだったのか”」

そんな物語構造だったと語っている。

だが、それが許されたのはある前提があってこそだったらしい。

「満田かずほさんという、ウルトラセブンで52話中13話、脚本を作った人がおっしゃってたんだけど、昔は子どもが親と一緒にテレビを観ているという前提でシナリオを書いたので、難しい言葉、難しい概念、難しい歴史への参照があったとしても、親が必ず説明してくれると思ってそれを書いていた。ところが、それが1974年、5年辺りから、あてに出来なくなったので、子どもが一人で観ているという前提でシナリオを書くようになった。その結果コンテンツのクオリティが残念ながら、下がらざる得なくなったとはっきりとおっしゃってたんですね。だから、テレビの視聴、テレビに限らないインターネットもそうなんだけど、学問的に裏付けられた議論ではあるんだけど、子どもが誰と一緒にコンテンツをみるのかということが”コンテンツの影響、コンテンツの理解度”を全て決めていくというのがあるので、出来るだけ親が大人たちが子どもと一緒にコンテンツをみるということがあるとね、またとても素晴らしい素晴らしい円谷的なコンテンツが再来するというときもあるかもしれない」

この、円谷的感覚というのがこの「二番目の悪者」にも感じられ、”大人も楽しめる=子どもと一緒に考えることのできる絵本”だと読み終えたときに思った。

絵本は、子どもが一番最初に触れるであろう本格的な活字媒体だと思う。

だからこそ、まずは大人から絵本に歩み寄り、数多くのなかから「一生の課題」となるようなものを自らの手で探し出し、子どもに伝えたいという気持ちが必要なのだろう。それが、子どもの心に強く響きやすいのかもしれない。

そんなことを、子どもがいるわけでもない僕が夜な夜な考えてみた。

おわり

本の行方


くみ→→→→みずしま

 

二番目の悪者
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